アキクサインコのまめが、9月22日夕方、永眠しました。
1歳3ヶ月という短い生涯を精一杯生きたまめは、私たち家族の癒しであり、
宝でした。
週3日ほど仕事に出てる私ですが、自転車を止めてる窓の前でまめはいつも
待っていました。
なので、私が帰ると真っ先に気づくのはまめで、自転車を置いてるとそれは
それは、身体全身で喜びを表し、それに気づいた犬たちが、みんなまめのカゴ
の下から顔出し、チィチィ、ワンワン騒ぐという賑やかで嬉しいお出迎えでした。
最近では、ベタ慣れで、手の中に入り甘え私が頭を撫でると目をつむり
口をゴニョゴニョ動かし、じっとされるがままでいてくれました。
その感触、今も手に残り、忘れられません。
そんなかけがえのない子を事故という、私の不注意で失う結果になってしまい
まめに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
まめは、いつも私の後を追いかける子で、飛ぶより
床の上を走ることの方が多い子でした。
そしてお気に入りは、犬のクッションの上で火曜日の朝も、放鳥時、私の後を
追いかけ、私の近くにあった犬クッションの上にいて
そのクッションを犬が何気なく私の直ぐ後ろまで押してしまったんです。
私は、バランス崩しそのクッションの上に足を乗せてしまい、
まめは凄まじい声で鳴き飛び去りました。
その時、尾が抜けてしまったのですが、血はついてませんでした。
でも、ハァハァ息荒く普通の状況じゃなく、慌てて鳥専門医のいる病院に車で
向かいました。
以前、まめが入院した病院は、川口で、家から渋滞すると2時間以上かかります。
なので車で40分で行ける鳥専門医のいる病院に行きました。
それが、間違いでした。
まめは、病院に行くと不思議にとても元気になるのです。
鳥は安心した場所じゃないと、自分を隠すという習性があるんです。
それを見て、糞を確認した医者は、『なんでもない、ただ驚いただけですぐ治ると
判断され、いくら、状況説明してもわかってもらえず、一旦家に帰されました。
何かあったら、また直ぐに来てくれとの話で、次の日も朝一番で病院に行き、
何も食べれてないと説明しても、何故かまめは、病院では健気にも粟の穂を
ついばみ、そのうにほんの少し食べ物があるというだけで、何もせずまた帰され
毎日病院連れて行くも、体重はどんどん減り、ようやく次の日に入院
それでもあの小さな身体に最初は1本の注射するのみで、薬も服用させず
亡くなる前日になり急に何本も注射し
酸素室の話をしてもそこまで悪い状態じゃないからと入れてもらえず
納得いかず医者の話が変だと感じた時には直ぐに以前助けていただいた
病院に行くべきでした。あんな病院に入院させるべきじゃなかった。
酸素室に入れてもらえたのは、亡くなる当日で事故から7日も経ってからです。
何故、最初に帰された日に以前の病院に連れていかなかったのか、
今は後悔しかないです。
でも1番の原因は、私にあります。
放鳥時には絶対にまめから目を離してはいけなかったのです。
後ろを見てはいけなかったんです。
お花を飾り、大好きだった赤穂と岩手から取り寄せた白穂、豆苗、麻の実を置き
お線香をあげ、2晩一緒に過ごします。
明日は大雨、庭に埋葬したいけど無理かなぁ。
写真は、嫌なので撮りませんでした。
短い期間だったけど、幸せで楽しい日々を過ごせたことに感謝、
まめ、家の子になってくれてありがとう。
コロナでの自粛期間も長かったけど、まめがいたから耐えられました。
自分の不注意で大切な我が子を失う悲しみがこんなに辛いとは
今は、胸が張り裂けそうです。
長々とした文面になってしまいましたが、そんな事情もあり主役まめが欠けた以上
このブログは続けられません。
先代モコ、たーぼー、アミ、ラム時代、『5匹のFunny Story』よりこのブログを始め
あまり更新しない日々もありながらも、なんとか12年間続けてきましたが
一旦、このブログは終了することにしました。
皆様のブログにはたまにお邪魔すると思います。
今まで、いらして下さった方々、ありがとうございました。
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